樺太の記憶


来週は厳寒の北海道・稚内に3日ほど滞在する予定。


目的は、私が代表を務めるNPOが中心となって取り組む、
樺太の話を聞く会」を開催するためである。
http://www.moovu.net/archives/000477.html


樺太(現サハリン)南部は第二次大戦時まで日本の領土であり、
40万人近い日本人が暮らしていた。
ところが、
日本の敗戦が濃厚となった1945年の8月9日になって
ソビエト連邦が日ソ中立条約を一方的に破って参戦し、
今では「終戦記念日」と呼ばれている8月15日以降も
樺太ではロシア軍のほぼ一方的な攻撃が続いて
多くの日本人が犠牲となった。


そして、日本に帰れないまま樺太に残った人も多く
その多く(主に女性)は日本人という国籍を隠したまま
残留することを余儀なくされたのである。


樺太と北海道の距離はわずか43kmほどであるが
何十年もの間、樺太に関する情報は
ソ連の厚い「鉄のカーテン」によって隔てられていた。


そのせいで、沖縄や満州に比べて
樺太の悲劇は日本人にあまり知られていない。


しかし樺太の悲劇は現在もまだ続いている。
だからこの記憶が風化してしまわないうちに
アーカイブ化しようと動き始めたわけである。


関連書籍を読んでいると
胸が張り裂けそうになるのだけれど
誰かがこの悲劇を語り継いでいかなければならない。


そのプロジェクトの第一弾が
来週の「樺太の話を聞く会」なのである。
稚内の学生たちに
この悲劇を語り継いでもらいたいと思う。