東海道『十六夜日記』の旅〜後編


愛知県内の旧東海道の何カ所かは過去に訪れているので
(有松、二村山、知立の八橋、宮路山など)
後半の旅は、豊川の御油にある松並木からスタート。


立派な松並木が600mほど続いている。


ちなみに、この秋に1号線に「藤川宿」の道の駅ができるみたいである。


同じく豊川市内で歌枕になっている「高師の山」を探しつつ
(実際には山というより丘陵地帯)浜名湖へ。


新居の関所跡。
資料館には興味深い資料がたくさんあり、
江戸時代の関所が
国際空港の税関なみに厳しいチェックをしていたことがわかる。


怖そうな役人たち。


静岡にある「小夜の中山」。東海道の3大難所の一つ。
現在は茶畑に囲まれた丘陵地帯で、
言われなければ旧東海道の跡だとはわからない道。


峠には当時から続くお茶処があった。
(閉まっていたけど...)


「宇津の山」。これも難所の峠。


写真の建物(蔵?)の脇から登っていく。


山道(蔦の細道)はこんな感じ。普通の登山道。
暑かった...


現代ではトンネルができたおかげで
あっという間に車で通りすぎる場所だが
当時、60歳の阿仏尼がこの峠を越えるのは大変だったに違いない。


「わが心 うつつともなし 宇津の山 夢にも遠き 都恋ふとて」
(遠い京都に思いをはせた歌)


丸子宿の近くにある、とろろ汁の店「丁字屋」で食事。
慶長元年創業(400年前!)で、広重の東海道五十三次にも描かれた店。



400年前から続くメニュー。「とろろ汁」。


三嶋神社に寄ってから箱根へ。
芦ノ湖畔にある旧街道と杉並木。


石畳の旧街道。


鎌倉へ。
写真は江ノ島と富士山。


阿仏尼は鎌倉の極楽寺近くに住んでいたらしい。
そして訴訟の解決を見ぬまま亡くなったと言われている。
(京都に戻ってから亡くなったという説も)


お寺ではなく、道端に、ひっそりと阿仏尼の墓がある。
あまり手入れがされている気配もなく、
寂しく哀れな墓である。


愛する息子・為相の墓は、
近くの寺の高台にあり、
母・阿仏尼の墓を見下ろしているような感じであった。
(今では建物に遮られて見えないが)


今回の旅で、江戸時代の旅がいかに大変だったか、
それと『十六夜日記』の中で詠まれた歌の心情を
かなりリアルに理解できるようになった気がする。