東海道『十六夜日記』の旅〜前編


私の専門とはぜんぜん違うのだけれど、
十六夜日記』の作者、阿仏尼の足跡を追いながら
京都から鎌倉まで、
主に旧東海道国道1号線)を辿ってみた。


十六夜日記』は、藤原為家の側室である阿仏尼が
自分の息子・藤原為相と、為家の正妻の子との間に起きた
紛争を解決すべく、鎌倉幕府へ直訴するために
60歳という高齢にも関わらず鎌倉へと旅をしたときの
和歌を中心とした日記作品である。


単純に言うと、それは愛する息子のための旅、
そして夫・為家のための旅であった。


スタートは京都。
京都を出る際の最初の難関は「逢坂の関」である。
(所在地は滋賀県だけど)
旅立つ人、それを見送る人、多くの出会いと別れが繰り返された関。


京都と滋賀を結ぶ交通量の多い道端に、
看板もなくひっそりと石碑があるだけなので見落としそうになる。


「定めなき 命は知らぬ旅なれど またあふさかと たのめてぞ行く」


再び逢う坂、と詠んでいるものの、阿仏尼は鎌倉で亡くなっている...。



滋賀の醒井宿。中山道61番目の宿場。


街道沿いにきれいな川(地蔵川)が流れていて、
ちょうどこの時期は梅花藻(ばいかも)が咲いていた。


「結ぶ手に にごる心を すすぎなば 浮世の夢や さめが井の水」


岐阜の墨俣一夜城。
木下藤吉郎豊臣秀吉)が一夜にして築いたと伝えられる城。

ここに阿仏尼の歌碑がある。


「かりの世の ゆききとみるも はかなしや 身をうき舟の 浮橋にして」


墨俣の渡舟場で非常に危ない舟を浮かべた浮橋を渡る心境を、
はかない浮世の旅路にかけて詠んだ歌らしい。



岐阜県の結神社。縁結びの神。
鎌倉街道沿いにあり、
阿仏尼も通りすがりに立ち寄ったらしい。


「守れただ ちぎりむすぶの神ならば とけぬうらみに われ迷はさで」


恨みをはらすための旅だったので、
「結び」の神なのに、恨みを解いてもらいたかったのか...。


中山道から愛知に入って一宮へ。
阿仏尼が願を掛けた真清田神社。


ここにも歌碑がある。


一の宮 名さへなつかし 二つなく 三つなき法を守るなるべし」


懐かしい、と詠んでいるのは、若い頃にも一宮を訪れているかららしい。


(後編につづく)