終わりなき旅


「自分探し」という言葉は
最近多用されているのであまり使いたくないのだけれど、
学科の専任教員が交替で担当する「社会と私」という授業で
私自身の「自分探しの半生」を語ってみた。


長い就活で悩み苦しんでいる多くの2年生にとって
参考になったかどうかわからないのだが、
まともに就活をせずにフリーの立場で働いてきた私の
人生のいくつかの分岐点と、決断の基準となった信念について
語ってみたのである。


「今までの中で1番ためになった授業でした。」
「いままで授業で聞いてきたなかで、1番聞いてよかったと思った。」
「これから社会人になる私にとって、大変良い話でした。」
「私は今就活とか自分という人間に悩んでますが、先生の生き方や考え方は、とても勉強になりました。」
なんていう感想があったので
それなりに意味のある話だったのかもしれない。


なんだ、就活しなくても何とかなるじゃん、
なんていう誤解を招いていなければいいのだが......


フリーの身分で生きるというのは
好きなことが自由にできて良さそうに思えるが
日本のような国では、会社などの「所属先」を持たずに生きるのは
かなり強い精神力と体力が必要なのである。


自分の体験から、この授業で言いたかったことは、
・人生は一度しかない。
・何が「吉」となるかは、決してわからない。
(「負け組」が「勝ち組」に変わることはよくある)
・楽しまなければ、楽しくない。
ということである。


「有名な企業の内定を取ること = 勝ち組」とは限らない。


かつて私の優秀な同級生たちは「拓銀」や「山一証券」などに就職し
学習塾でアルバイトをしていた私などは、
今でいう「負け組」のような気分で肩身が狭かったけれど
やがてそれらの一流企業は経営破綻してつぶれてしまった...。


内定を取り消されて、あわてて就活を再開し
何とか採用された小さなソフトウェア会社が、
やがて世界的な製品を生み出して有名になったという学生もいる。


人間万事塞翁が馬」ということである。


ちなみに、このブログのタイトル「Life3.0」は、
1. 札幌時代(学生〜予備校講師時代)
2. 稚内時代(再び学生〜NPO設立〜大学教員)
3. 愛知時代(短大教員〜現在)
の3つめの段階にあることを意味してつけたものである。


22歳の時に海外で過ごした半年間の話や
稚内時代のことについては↓のブログに書いてある。
「空のもう半分を探して」
(昔は饒舌だったな...)


今、私は、ここにいる。


第4のステージがどうなるかは、まだわからない。
私の自分探しはまだ終わったわけではない。