彼のいない世界


スティーブ・ジョブズが亡くなった。
何年も前から闘病していたことは知っていたし
予期していたこととはいえ、
この喪失感はしばらく消えそうにない。


彼がいなければ、たぶん私は今の場所にいなかった。


使えば使うほどストレスばかりがたまるWindowsマシンと
重要な書類をことごとく台無しにしてしまうWordのせいで
コンピュータなんて大嫌いになっていたに違いないのだ。


UNIXを経由して)Macに出会ったおかげで
コンピュータを操作する楽しさ、
コンピュータという道具を使って何かを生み出す楽しさ、
そして何よりも
自分はMacを所有しているのだという特別な喜びを
感じることができた。


iMac」(通称「大福」)

Mac Cube」

eMac


デザインというものが、世の中を変えるほどの力を持つのだと
ジョブズは教えてくれた。


他の多くのメーカーが気にもかけないような細部へのこだわり、
たとえば
Macマシンに刻まれる製品名のフォントへのこだわり、
誰も見ないような内部の配線の美しさへのこだわり、
iPodから電源ボタンすらなくしてしまうほどのシンプルさへのこだわり、
それらによって(それだけではないが)Apple
他のメーカーとはまったく別の次元にたどり着いたのだ。


そして私も、広報関係のデザインの仕事をするときは
誰も気にしないような細部にまでこだわっているのだけれど
やっぱり誰も気にしてはくれないのだった(笑)


ジョブズの死をジョン・レノンの死にたとえる人が多いけれど
確かに
もうジョンの新曲を聴くことができないのだ、という虚しさと
もうアップルの画期的な新製品は出ないのだ、という虚しさは
似ている気がする。


ジョン・レノンは、殺される直前のインタビューで
世界中の人々が待ち望むビートルズの再結成を強く否定していた。


もう私たちに新しい歌を期待しないでほしい。
ビートルズは人々に泳ぎ方を教えたんだ。
あとは自分の力で泳げばいいのさ。
ジョンのそんな言葉が印象的だった。


たとえこの世界から彼らがいなくなっても
彼らの歌や製品群が忘れ去られるわけじゃない。


そう。
どんなモノを作れば世界を変えることができるのかを
私たちはジョブズから教わって知っているはずなのだ。